学校ってどうして変なの?大学職員の日記

学校の文化や制度が変だと、よく言われています。なぜ変なのか、学校の中から考えてみます!

学生・生徒目線ではなく、学校教職員から見た良い人材って?

こんにちは、ダーツーです。

 

6月に入りましたが、今年はまだそこまで暑くなりませんね。

一方で6月になるとボーナスにソワソワしだす時期でもあります。

私が勤めている大学も6月にボーナスが支給されます。

余談ですが、学校の世界ではボーナスではなく、「勤勉手当」と呼ばれることが多いです。

 

さて、ボーナスと言えば、「人事評価」「人事査定」によって、支給額が変動するものですよね。

学校ってどうなっているかって想像したことありますか?

教職員の査定、つまり、良い人材、悪い人材ってどんな人なんでしょう?

今回のテーマはそれです。

 

 

 

まず、一般的には学校職員(事務の人)というのはなじみがなく、よくわかりません。

教員(先生)は誰しもが接したことがあるので、こちらを例に書いていきます。

 

世間一般でイメージする「良い先生」というのは、ドラマや映画の影響が大きいですよね。

不良生徒を改心させた、生徒たちに真の絆をもたらした、などなど多数描かれています。

びりギャルやドラゴン桜など、勉強に関する作品も話題になりましたね。

テーマは様々ですが、こういった話題になる作品でおおむね共通しているのは、

「(先生目線で)初めて遭遇する特殊な生徒(達)に、全身全霊で接して、変化をもたらす」

と言えるのではないでしょうか。

多分、ほとんどの方が納得できるのではないかと思います。

これが世間一般にイメージされる「良い先生」です。

では、この「良い先生」は学校内で評価され、高いボーナスをもらっているのでしょうか?

 

結論から言うと、違います。

さらに言うと、ボーナス支給額の差の要因は90%以上が「年齢」「だけ」です。

仕事の良し悪しで査定が変わることはなく、支給額も変わることはありません。

 

民間企業に勤めている方は、「えっ?」って思うでしょう。

そうなんです。

私も新卒で就職した旅行会社では、査定があって「目標個人予算(売上ノルマ)に対して何%達成」という項目が最も大きく査定に影響する項目でした。

1年間の売上ノルマが1億円の人がABC3人いたとします。

Aは8,000万円、Bは1億円、Cは2億円の売上を達成したとします。

当然ボーナス支給額はC→B→Aの順になりますね。

支給額の差は会社によってまちまちで、CとAで2倍以上の差になることはほとんどないのが日本の特徴ですが、確実に差が生まれます。

ごく自然なことです。

 

では、学校ではどうなんでしょうか?

まず、民間企業で言うところの「目標個人予算(売上ノルマ)」に該当するのは学校ではどんなことなんでしょうか?

私の場合は営業職だったので、個人目標が予算(売上ノルマ)と非常にわかりやすかったですが、

事務職でも、研究職でも、どんな職種でもある程度納得できる、わかりやすい指標が定められていると思います。

事務職なら「どれだけ業務を簡素化できるか(残業時間の削減など)」とか、

研究職なら「どれだけの成果を出す」とか。

民間企業の場合は数字に表せる定量的指標で目標設定されていることが多いはずです。

その個人目標指標に不満があっても、みんなサラリーマンですから渋々従いつつ、その目標を達成するために仕事をしているはずです。

 

一方で学校という教育現場では、目標を定量的指標で表すことが難しいんです。

「教育とはテストの点数を上げること」かと言えば、必ずしもそうではありません。

冒頭に書いたドラマなどからイメージされる「良い先生」は、「生徒の成績を上げる」ことよりも、「生徒のモチベーションを上げる」ことに全身全霊を注いでいるケースが多いです。

事実、これは一理あって、テストの成績が子供のすべてであるわけがありません。

しかし「生徒のモチベーション」を比較することは、ほぼ不可能です。

 

口数も少なく、友達もいない、でもテストは毎回100点で成績学年トップのA君と、

不良・不登校でテストは毎回白紙で出していた、感情表現豊かで友達も多いB君。

1年間でA君に変化はなく、最初から最後まで成績学年トップ。

B君は秋から登校しだし、1月頃にはテストも40点くらいとれるようになった。

A君と、B君、どちらがモチベーション高いでしょうか?

B君の方がモチベーションの変化があった(上がった)ことはまぎれもない事実です。

でも、A君のモチベーションよりB君の方が高くなったと言えるでしょうか?

 

正直なところ、わかりません。

A君は実は家ではめちゃくちゃモチベーション高く勉強している子かもしれません。

何らかの理由で中学生のころから「絶対に東大に行く!」なんて思っているかもしれません。

B君はおそらく東大なんて考えてないでしょうし、平均点くらいを目標にモチベーションを上げているかもしれません。

モチベーションを比較することは非常に困難です。

 

では、先生は何を基準に評価されればいいのでしょうか?

私の知る限り、2021年現在、先生の評価基準は明確になっていません。

 

「教員(先生)の仕事の良し悪し」は「生徒の成績をどれだけ上げたかだ!」と主張する方は大勢います。

これはある種その通りだと思います。

実際、同じ教育現場でも、学校ではなく塾になると、この成績指標がほぼ全てです。

 

成績を主張する方がいるのと同じくらい、もしくはそれ以上の方々が

「教員(先生)の仕事の良し悪し」は

「どんなことでもいいから熱中できることを見つけるよう促せるかだ!」とか

「幸せに生きることは何かを見つけられることだ!」とか

「自分の存在価値を認められるようになることだ!」とか

いろんなことを言う人がいます。

 

これ、全部その通りだと思います。

一方で成績以外の主張に関しては、

「熱中するってどれくらいの期間、どんな状態になることなの?」

「幸せってなに?」

「自分の存在価値を認めるって他人がどうやったらわかるの?」

などなど、全て生徒側の「主観」によります。

教員側の仕事の成果という観点で言えば、今度は生徒の主張ですらなく、担当教員の主観になります。

「個人的主観」を「組織として平等に評価する」というのは、私の知る限り不可能なことです。

 

その結果、「教員に対して平等な評価基準」を設定することができなくなります。

ではどうしようか?となりますね。

 

このブログで最初に書いた「学校運営における絶対的正義とは?」でも取り上げましたが、

学校の現場では「前例踏襲主義」がすべての基本となっています。

gakkou-why.hatenadiary.com

 

なので、教員の評価も

「前年と同じ授業・指導を問題を起こさず達成すること」が最重要評価項目になります。

ただ、こんなこと明文化して文部科学省なり、教育委員会なり、各学校なりが「教員評価基準」みたいなもの作ろうもんなら、

いろんなところから叩かれるのは目に見えています。

なので、明文化されていません。暗黙の文化なんです。

 

ではこの「前例踏襲主義」にのっとって、冒頭のドラマにみられる良い先生像の先生はどう見られるのかを解説します。

「(先生目線で)初めて遭遇する特殊な生徒に、全身全霊で接して、変化をもたらす」

のが良い先生像の共通項です。

分解していきましょう。

以下、熱血指導する先生(世間一般でイメージされる良い先生)を部下に持つ、教頭、校長の気持ちです。

※かなり失礼なことを書きます。もちろん100%全員がそうだとは言いませんが、私の経験則からすると70-80%くらいの先生はこれに当てはまります。

 

「初めて遭遇する」

前例がないので、いきなり勘弁してほしいです。

即、思考停止状態に陥る先生が大多数です。

ぶっちゃけ「熱血に指導するのはいいけど、失敗するなよ~」ということばかり考えています。

ただ、前述のとおり「教育」とは一括りにできないこともみんなわかっているので、熱血指導を止めることはありません。

 

「特殊な生徒」

やっぱり前例がないから、思考停止です。

せいぜい「時代は変わったなー」なんて他人事な感想くらいしか持っていません。

割とあるのが、「私が若い時代は・・・」なんて飲み屋の酔っ払いみたいなことしか考えられない方が多いです。

 

「全身全霊で」

予想通りですが、「いや、止めはしないけど、失敗するなよ。」だけです。

あまつさえ、「ただでさえ問題児なんだから、今くらいの問題児で、それ以上の問題児にならないような適度な距離感も大事だよ?やりすぎるなよ?」くらいに思ってます。

 

「変化をもたらす」

ここだけはめちゃくちゃ褒めたたえます。

よくやった!と。

ちなみに悪い方向に変化した場合は、ほぼ全て担当教員の責任になります。

 

こんな感じです。

なので、世間一般でイメージされる良い先生は、学校内で上司から必ずしも良い評価を得られません。

 

ではどんな先生が良い評価を得られるのでしょうか?

無自覚に「前例踏襲主義」の思考をする学校文化において、

良い先生とは「問題を起こさず、頑張ってる風の先生」なんです。

 

ここでこの記事の根底を覆すようなことを言いますが、

学校におけるボーナスは、勤勉手当と呼ばれることが多いです。

勤勉手当の名の通り、どれだけ真面目に仕事をしたか、という観点に対する報酬なんです。

従って、求められるのは、「成果」ではなく「問題を起こさないこと(勤勉さ)」なんです。

 

だから、問題さえ起こさなければ、平均的な評価を得、問題を起こせば平均以下の評価を得ます。

なので、学校におけるボーナスの支給額基準は「年齢」がほぼ全てなんです。

仕事内容ではありません。

というか、年齢以外に客観的に評価できる基準がありません。

だって教育とは、ケースバイケースの事例が圧倒的に多すぎるんですから。

 

 繰り返しになりますが、先生の「頑張った成果」が評価されることはほぼありません。

より正確い言えば、学校組織はこれを「評価する基準」を持ち合わせていません。

悲しい。。。

 

 

 

最後に、私は大学事務職員をやっています。

事務職員はどうなのか?

 

学校組織において、主役は絶対的に生徒・学生と教員です。

事務職員が主役になることはあり得ません。(だからこそのやりがいと楽しみがあるんですが)

一つの学校で教員と事務職員の人数比を見ると、8:2とか、9:1くらいが相場です。

なので、事務職員向けの評価基準なんてものは存在せず、

全て教員に準ずる形になっています。

 

それでは、また次回!