学校ってどうして変なの?大学職員の日記

学校の文化や制度が変だと、よく言われています。なぜ変なのか、学校の中から考えてみます!

学費って何に対する対価?

こんにちは。ダーツーです。

 

今回は学費について書きたいと思います。

 

保育園に始まり、幼稚園、小学校、中学校、高校、専門学校、大学と、全ての教育機関で何らかの学費がかかります。

ひとくくりに学費と言っても、内訳は細かく細分化されています。

 

今回は一番大きな割合を占める「授業料」について書いていきます。

 

 

 

まず、お金が動く時はどんな例が身近なのかから考えてみます。

一般的に、「お金が動く時」は①売買、②対価のいずれかに分類されることが大半です。

 

①売買

これはシンプルですね。

何か欲しいモノがあったら、お金と交換する(買う)。

人間が産まれて最初にお金を理解するのはこの経験からです。

 

②対価

これもシンプルです。

働いたら、労働の対価としてお金をもらう。

小中学生の家庭のお手伝いに始まり、高校生でアルバイトを始めるので馴染みがあります。

 

では、学費(授業料)をこれに当てはめるとどのようになるのでしょうか。

これは学校ではなく、塾を例に考えるとわかりやすいです。

塾に支払う授業料は「授業を受ける対価」として支払うものです。

具体的なモノをもらうわけではないので、売買には分類できません。

 

塾の例では、みなさん、すーっと理解できるのですが、

なぜか学校になると腹落ちしません。

 

でも、冷静に考えてみると

「学校の授業料」も「授業を受ける対価」が最も基本的な考え方になります。

それが理解できなくなるのは、義務教育の流れがあると思っています。

 

小学校・中学校は義務教育なので授業料はありません。

給食費や一部の教材費、修学旅行の積み立てなど、学費に分類されるお金は義務教育でもありますが、理解・納得して払っているはずです。

(修学旅行が高額すぎる!とかいう話は別にしてw)

 

それが高校・専門学校・大学になると国公立であっても授業料が発生するようになります。

特に専門学校・大学の授業料は年間100万円近くになるほど高額です。

小中はタダだったのが、年齢を重ねたら年間100万とられるのだから、ちょっと待てよ、と思うのもわかります。

 

今回、私が学費について書こうと思ったのは、2020年のコロナ禍における休校措置がきっかけでした。

大学ではオンライン授業となり、学生達は大学キャンパスに通学することがなくなりました。

当然、友人関係やサークルなど、いわゆる「学生生活」の大きなウェイトを占める部分がごっそりなくなったのです。

その結果、各地で学生及び保護者から学費返還運動が起こりました。

マンモス大学では数千から数万もの署名が集まっています。

しかし、ほとんどの大学が学費返還をしませんでした。

※通信環境整備などの名目で1万円から10万円くらいの幅で、申請すればほぼ100%もらえる奨学金を給付した大学はたくさんありました。

これを実質的な学費返還と解釈することは可能です。

 

この時の学費返還運動の主張は

「キャンパスに通学できなければ、通常の学生生活を送る事が出来ない。通常の学生生活が送れないのであれば、学費は減免(減額)されるべきだ」

という内容です。

 

話を戻してみましょう。

学費は何のために支払うお金なのでしょうか?

「授業を受ける対価」であって、「友人を作る機会提供の対価」ではありません。

友人を作る機会は、あくまで学生達の自発的行動による副産物であり、大学側が明確に意図して提供したものではありません。

従って、コロナ禍における学費返還運動の主張は、的を射ていません。

この学費返還運動に対していくつかの大学が回答していますが、2020年5月5日に公表された早稲田大学の回答を紹介します。

「大学における学費の性格について、ご説明いたします。大学の学費は、学部生は学士号を4年間、大学院生は修士号を2年間、博士号は3~6年間で取得するための教育を提供し、学士号・修士号・博士号を授与するに足る教育を修了することに対して総額で設定されています。従いまして、感染症より学生を守るため、ある特定な形の授業形態を取ったとしても、学費が上下するものではありません。大学の学費は、4年間もしくは2年間・3~6年間の教育に対して、必要とされる総額を年数で等分して納めていただいているものなのです。」

早稲田大学の学費に関する考え方について Waseda University’s Policy on Tuition – 早稲田大学

 

一部を抜粋しましたが、全文を読むと学生に寄り添いながら、大学の本質を的確に表現しています。

 

この早稲田大学の回答からもわかる通り、

「学校における授業料」は「卒業資格」の「売買」と解釈することが可能になります。

そうすると、「高卒資格」よりも「大卒資格」の方が価値が高いので、高額になることも納得できるのではないでしょうか。

 

 

なので、学校における学費については、「学校が変」なのではなく、

「数年間という長期にわたって継続する売買」が一般的に「学校以外に存在しない」ことが変だと感じる理由です。

 

それではまた次回!