学校の危機管理能力はなぜ低いのか?
こんにちは。ダーツーです。
今日は学校の危機管理能力について書いてみたいと思います。
昨日6月8日は大阪の池田小学校であまりに悲しい事件が起きてからちょうど20年でした。
全国ニュースでも色々と取り上げられ、ネット記事でもあの事件からの学校の変化が取り上げられました。
ここから、学校における危機管理能力について書いてみます。
この池田小学校に限らず、毎年の猛暑など、学校における危機管理能力について疑問を持たざるを得ないニュースは毎年のように出てきます。
なぜ学校は危機管理能力が低いのでしょうか?
これを感じることがちょうど先週ありました。
私毎ですが、先週出勤して朝にコーヒーを飲むと味も匂いもしませんでした。
「まさか⁉」と思い、慌てて離席し、自動販売機でブラックの缶コーヒーを買いました。
やっぱり味も匂いもしません。
とうとうコロナもらっちゃったかーと思い、キャンパス内屋外から自部署に電話しました。
だーつー「すいません、実はさっきコーヒー飲んだら味も匂いもしなくて。。。どうしましょう?」
上長「ん?自販機の業者にクレームの電話をしたいということ?」
って、おーいwww
とりあえず、予想の斜め上すぎるリアクションに驚きつつ、
「自分がコロナもらたかもしれない、という話です!」と言ったら初めて
「あー!!!え?味がしないの!?」
というリアクションに。。。
ちなみに私の勤める部署では21年3月のマンボウから、4月の緊急事態宣言発出後も、一切リモートワークは導入されませんでした。
多分検討もされてません。
そんな上長です。
電話の後は、一瞬荷物だけ取りにデスクに戻り、そのまま帰宅してPCR検査を受けました。
検査結果はなぜか陰性だったのですが、その後数日は味覚障害が残りました。
個人的には、陰性結果が出た翌日に出勤した時、
「大変だったね」「陰性で良かったね」という声掛けはもらいましたが、
「次に同じような事が起きた時にどうするか?」という話は一切ありませんでした。
今回の例では、私は結果オーライで済む話ですが、
今後部署内で同じような人が発生した時への影響は甚大です。
具体的に言えば、
「味覚障害があっても、ダーツーのように陰性で職場を騒がせてしまうのはよくないから、しばらく様子を見よう」
という判断が出てきてしまうと考えられます。
これはごく自然な判断だと思います。
私は騒がせるだけ騒がせて(当日中に学長まで報告がいったそうです)、結果は陰性だったわけですから。
濃厚接触者でもない、飲み屋に行ったわけでもない、日本に入国したばかりの人と会ったわけでもない、
でも味がしない。
身近な前例からするととりあえずは様子見て大丈夫じゃない?
というかもし陰性だったら、自分のせいで職場に迷惑をかけたくない。
こう考えるのはごくごく自然だと思います。
それに対し、上長としては、
「今回は結果オーライで良かった。ただ今後、味覚障害に限らず、体調不良を感じたら無理して出勤しないでほしい」
と所属員全体に発信するのが上長の役目だと思います。
そういった発言があれば、みんな異変を感じたらすぐに言葉にすることができます。
そのような発言がないので、今後誰かが異変を感じてもすぐに言わないと思います。
少なくとも私はものすごく言いにくいです。
今回の経験で感じたのは、
恐らくは「マネジメント」というものを正しく認識していないんだろうな、ということです。
学生に対しては指導を意識しますが、同僚や部下への意識が低い。
それも極端に低い。
だから部署や職場全体の大きな目線での危機管理能力がないんだと思いました。
「自分が担当する」「生徒」の「管理」しか考えていないからです。
それ以外のことは自分事ではないので、何も感じません。
多分ですが、それが学校の危機管理能力の低さの大きな原因だと思います。
ではまた次回!
学生・生徒目線ではなく、学校教職員から見た良い人材って?
こんにちは、ダーツーです。
6月に入りましたが、今年はまだそこまで暑くなりませんね。
一方で6月になるとボーナスにソワソワしだす時期でもあります。
私が勤めている大学も6月にボーナスが支給されます。
余談ですが、学校の世界ではボーナスではなく、「勤勉手当」と呼ばれることが多いです。
さて、ボーナスと言えば、「人事評価」「人事査定」によって、支給額が変動するものですよね。
学校ってどうなっているかって想像したことありますか?
教職員の査定、つまり、良い人材、悪い人材ってどんな人なんでしょう?
今回のテーマはそれです。
まず、一般的には学校職員(事務の人)というのはなじみがなく、よくわかりません。
教員(先生)は誰しもが接したことがあるので、こちらを例に書いていきます。
世間一般でイメージする「良い先生」というのは、ドラマや映画の影響が大きいですよね。
不良生徒を改心させた、生徒たちに真の絆をもたらした、などなど多数描かれています。
びりギャルやドラゴン桜など、勉強に関する作品も話題になりましたね。
テーマは様々ですが、こういった話題になる作品でおおむね共通しているのは、
「(先生目線で)初めて遭遇する特殊な生徒(達)に、全身全霊で接して、変化をもたらす」
と言えるのではないでしょうか。
多分、ほとんどの方が納得できるのではないかと思います。
これが世間一般にイメージされる「良い先生」です。
では、この「良い先生」は学校内で評価され、高いボーナスをもらっているのでしょうか?
結論から言うと、違います。
さらに言うと、ボーナス支給額の差の要因は90%以上が「年齢」「だけ」です。
仕事の良し悪しで査定が変わることはなく、支給額も変わることはありません。
民間企業に勤めている方は、「えっ?」って思うでしょう。
そうなんです。
私も新卒で就職した旅行会社では、査定があって「目標個人予算(売上ノルマ)に対して何%達成」という項目が最も大きく査定に影響する項目でした。
1年間の売上ノルマが1億円の人がABC3人いたとします。
Aは8,000万円、Bは1億円、Cは2億円の売上を達成したとします。
当然ボーナス支給額はC→B→Aの順になりますね。
支給額の差は会社によってまちまちで、CとAで2倍以上の差になることはほとんどないのが日本の特徴ですが、確実に差が生まれます。
ごく自然なことです。
では、学校ではどうなんでしょうか?
まず、民間企業で言うところの「目標個人予算(売上ノルマ)」に該当するのは学校ではどんなことなんでしょうか?
私の場合は営業職だったので、個人目標が予算(売上ノルマ)と非常にわかりやすかったですが、
事務職でも、研究職でも、どんな職種でもある程度納得できる、わかりやすい指標が定められていると思います。
事務職なら「どれだけ業務を簡素化できるか(残業時間の削減など)」とか、
研究職なら「どれだけの成果を出す」とか。
民間企業の場合は数字に表せる定量的指標で目標設定されていることが多いはずです。
その個人目標指標に不満があっても、みんなサラリーマンですから渋々従いつつ、その目標を達成するために仕事をしているはずです。
一方で学校という教育現場では、目標を定量的指標で表すことが難しいんです。
「教育とはテストの点数を上げること」かと言えば、必ずしもそうではありません。
冒頭に書いたドラマなどからイメージされる「良い先生」は、「生徒の成績を上げる」ことよりも、「生徒のモチベーションを上げる」ことに全身全霊を注いでいるケースが多いです。
事実、これは一理あって、テストの成績が子供のすべてであるわけがありません。
しかし「生徒のモチベーション」を比較することは、ほぼ不可能です。
口数も少なく、友達もいない、でもテストは毎回100点で成績学年トップのA君と、
不良・不登校でテストは毎回白紙で出していた、感情表現豊かで友達も多いB君。
1年間でA君に変化はなく、最初から最後まで成績学年トップ。
B君は秋から登校しだし、1月頃にはテストも40点くらいとれるようになった。
A君と、B君、どちらがモチベーション高いでしょうか?
B君の方がモチベーションの変化があった(上がった)ことはまぎれもない事実です。
でも、A君のモチベーションよりB君の方が高くなったと言えるでしょうか?
正直なところ、わかりません。
A君は実は家ではめちゃくちゃモチベーション高く勉強している子かもしれません。
何らかの理由で中学生のころから「絶対に東大に行く!」なんて思っているかもしれません。
B君はおそらく東大なんて考えてないでしょうし、平均点くらいを目標にモチベーションを上げているかもしれません。
モチベーションを比較することは非常に困難です。
では、先生は何を基準に評価されればいいのでしょうか?
私の知る限り、2021年現在、先生の評価基準は明確になっていません。
「教員(先生)の仕事の良し悪し」は「生徒の成績をどれだけ上げたかだ!」と主張する方は大勢います。
これはある種その通りだと思います。
実際、同じ教育現場でも、学校ではなく塾になると、この成績指標がほぼ全てです。
成績を主張する方がいるのと同じくらい、もしくはそれ以上の方々が
「教員(先生)の仕事の良し悪し」は
「どんなことでもいいから熱中できることを見つけるよう促せるかだ!」とか
「幸せに生きることは何かを見つけられることだ!」とか
「自分の存在価値を認められるようになることだ!」とか
いろんなことを言う人がいます。
これ、全部その通りだと思います。
一方で成績以外の主張に関しては、
「熱中するってどれくらいの期間、どんな状態になることなの?」
「幸せってなに?」
「自分の存在価値を認めるって他人がどうやったらわかるの?」
などなど、全て生徒側の「主観」によります。
教員側の仕事の成果という観点で言えば、今度は生徒の主張ですらなく、担当教員の主観になります。
「個人的主観」を「組織として平等に評価する」というのは、私の知る限り不可能なことです。
その結果、「教員に対して平等な評価基準」を設定することができなくなります。
ではどうしようか?となりますね。
このブログで最初に書いた「学校運営における絶対的正義とは?」でも取り上げましたが、
学校の現場では「前例踏襲主義」がすべての基本となっています。
なので、教員の評価も
「前年と同じ授業・指導を問題を起こさず達成すること」が最重要評価項目になります。
ただ、こんなこと明文化して文部科学省なり、教育委員会なり、各学校なりが「教員評価基準」みたいなもの作ろうもんなら、
いろんなところから叩かれるのは目に見えています。
なので、明文化されていません。暗黙の文化なんです。
ではこの「前例踏襲主義」にのっとって、冒頭のドラマにみられる良い先生像の先生はどう見られるのかを解説します。
「(先生目線で)初めて遭遇する特殊な生徒に、全身全霊で接して、変化をもたらす」
のが良い先生像の共通項です。
分解していきましょう。
以下、熱血指導する先生(世間一般でイメージされる良い先生)を部下に持つ、教頭、校長の気持ちです。
※かなり失礼なことを書きます。もちろん100%全員がそうだとは言いませんが、私の経験則からすると70-80%くらいの先生はこれに当てはまります。
「初めて遭遇する」
前例がないので、いきなり勘弁してほしいです。
即、思考停止状態に陥る先生が大多数です。
ぶっちゃけ「熱血に指導するのはいいけど、失敗するなよ~」ということばかり考えています。
ただ、前述のとおり「教育」とは一括りにできないこともみんなわかっているので、熱血指導を止めることはありません。
「特殊な生徒」
やっぱり前例がないから、思考停止です。
せいぜい「時代は変わったなー」なんて他人事な感想くらいしか持っていません。
割とあるのが、「私が若い時代は・・・」なんて飲み屋の酔っ払いみたいなことしか考えられない方が多いです。
「全身全霊で」
予想通りですが、「いや、止めはしないけど、失敗するなよ。」だけです。
あまつさえ、「ただでさえ問題児なんだから、今くらいの問題児で、それ以上の問題児にならないような適度な距離感も大事だよ?やりすぎるなよ?」くらいに思ってます。
「変化をもたらす」
ここだけはめちゃくちゃ褒めたたえます。
よくやった!と。
ちなみに悪い方向に変化した場合は、ほぼ全て担当教員の責任になります。
こんな感じです。
なので、世間一般でイメージされる良い先生は、学校内で上司から必ずしも良い評価を得られません。
ではどんな先生が良い評価を得られるのでしょうか?
無自覚に「前例踏襲主義」の思考をする学校文化において、
良い先生とは「問題を起こさず、頑張ってる風の先生」なんです。
ここでこの記事の根底を覆すようなことを言いますが、
学校におけるボーナスは、勤勉手当と呼ばれることが多いです。
勤勉手当の名の通り、どれだけ真面目に仕事をしたか、という観点に対する報酬なんです。
従って、求められるのは、「成果」ではなく「問題を起こさないこと(勤勉さ)」なんです。
だから、問題さえ起こさなければ、平均的な評価を得、問題を起こせば平均以下の評価を得ます。
なので、学校におけるボーナスの支給額基準は「年齢」がほぼ全てなんです。
仕事内容ではありません。
というか、年齢以外に客観的に評価できる基準がありません。
だって教育とは、ケースバイケースの事例が圧倒的に多すぎるんですから。
繰り返しになりますが、先生の「頑張った成果」が評価されることはほぼありません。
より正確い言えば、学校組織はこれを「評価する基準」を持ち合わせていません。
悲しい。。。
最後に、私は大学事務職員をやっています。
事務職員はどうなのか?
学校組織において、主役は絶対的に生徒・学生と教員です。
事務職員が主役になることはあり得ません。(だからこそのやりがいと楽しみがあるんですが)
一つの学校で教員と事務職員の人数比を見ると、8:2とか、9:1くらいが相場です。
なので、事務職員向けの評価基準なんてものは存在せず、
全て教員に準ずる形になっています。
それでは、また次回!
進学説明会で効果的な質問
こんばんは!ダーツーです!
今回は、進学説明会というイベントに行くときの職員の気持ち側から、参加受験生がどうしたら学校の本質を聞けるか!ということをお伝えします。
中学、高校、大学と、私立であれば大体の学校は進学説明会というイベントに定期的に参加しています。
(国公立も私立程じゃないですが、もちろん参加しています)
志願者募集を目的に参加しているんですね。
最近、私も仕事で行ってきましたので、説明側の気持ちを書きつつ、受験生側はどういう質問をすれば良いのかを聞くといいか、という内容で書いていきます。
まず、イベントの概要ですが、なんとなく皆さん想像できると思います。
ビックサイトや幕張メッセ、はたまた県庁所在地の大きな体育館などで30校くらい学校関係者が集まり、数百人もしくは数千人規模で受験生が集まるイベントです。
学校毎に小さなブースがあって、参加者(受験生)は検討している学校のブースに行って話を聞く、というイベントですね。
まず、参加学校側(私)の気持ちとしては。。。
志願者を集めるために一生懸命本学をアピールするぞ!
という気持ちです。これ、かなり強いです。
その気持ちが強いからこそ、同時に以下のことを考えます。
1、本学に合っている生徒(来てほしい生徒)が来たらしっかりアピールするぞ!
2、本学に合わない生徒が来たら、うまく切り上げたい。。。
3、そうは言っても生徒の本質を見極めるには時間が短すぎるので、各組長引かせたくない。。。
4、バランスが大事だ!
なんてことを考えています。
では実際には、どのようになるか。
いろいろな気持ちがあったうえで、4、バランスが大事だ!にたどり着いているので、
基本的には毎回決まった内容の話をしよう!
というスタンスでいます。
その結果。。。
まずは受験生側の簡単な気持ちを聞く
・本学のブースに来てくれてありがとう!
・本学の何学部に興味があるの?
・学びたいジャンルの気持ちは固いの?まだ悩んでるの?
です。
あとは学部毎に、自分で決めている内容を話します。
もちろん、良いことを中心に話します。
というか、悪いことはほとんど話しません。
一日に何十回も同じ話をする&それを毎週・毎月のように繰り返すので、
話す側は正直なところ、話に熱を込めにくくなっています。
一生懸命アピールしようと思っているのに、アピールしすぎて、もう疲れてるんです。
そうは思いながら、受験生側のリアクションを見ていると、
こちらのテンションと、受験生の満足度は比例しません。
こちらの話し方に関係なく、受験生は満足感が高いんです。
前職で旅行会社の営業をやっていたこともあり、
「お客様満足度」には強い関心を持っているダーツーです。
以下私なりの考察です。
◆本学に対して受験生の志望度が高い場合
まず、受験生側がある程度調べてきています。
特に第一志望だった場合、こちらが想定しているよりも詳しいケースもあります。
そんな受験生が何を求めて本学のブースに来るのか。
私の経験に基づくと、
「自分(受験生)が調べて、学校に期待していることが、本当かどうか」
という答え合わせに来ています。
従って前述のとおり、本学の良いところを話すのが正解になります。
◆本学に対して受験生の志望度が高くない場合
志望度は高くなくとも、自分で選んでいる学校ですので、
受験生は本学に対して悪いイメージはありません。
何かしらぼんやりとした良いイメージを持っているか、誰かにすすめられたケースが多いですね。
この場合、受験生は何を求めて本学のブースに来るかと言えば
「なんとなく良いイメージはあるけど、具体的に何が良いの?」
ということを聞きに来ています。
こちらも前述のとおり、本学の良いところを話すのが正解になります。
ただ、志望度が高い受験生と違って、学部にこだわらず幅広く学校全体のことに重きを置くようになります。
◆本学のことを全然知らないけど、先生or親に言われてとりあえず聞きにきた
どう言われたのか知りませんが、本学のことを何も知らない状態です。
なので、本学の良いところを話すのが正解になります。
こちらもやはり、学部にこだわず幅広く学校全体のことに重きを置いて話をします。
以上からわかる通り、受験生側のスタンスがどうであっても、参加学校側の話の内容はほとんど変わりません。
全く同じ話を何十回と繰り返しするわけです。
勘のいい方はもうお気づきだと思いますが、
「それじゃあせっかく話を聞きに行っても学校の良し悪しを判断できないじゃん」
となるわけです。
ただ、これは事実です。
進学説明会というイベントの内実は、
「学校の良し悪しを正しく判断する」ことではなく、
「良いと思っている(良いと聞いた)学校の良い部分だけを確認する」
なんです。
こんな話を聞いたら、行く意味ないじゃん!って思いますよね。
なので、ここからは、どうすれば、進学説明会で学校の本質を聞けるかについて解説します。
他の記事でも書いてきましたが、学校というのは、とても特殊な組織です。
ただ、毎回同じことをするのは得意中の得意としています。
なので、参加受験生側は、自分にとって嫌なシチュエーションを想定して質問してください。
具体的に質問例を示しましょう。
まずはよくある質問(参加大学も即答で自信をもって答えられる質問)
・どんなことが学べますか?
・入試制度はどうなってますか?
・学費や留学費用はどのくらいですか?
・学生たちはどんな雰囲気ですか?
この辺がものすごく多い質問です。
答える側も簡単ですし、質問した受験生もどんな回答であってもそこまで驚くことはありません。
では、どんな質問をすると学校の本質が見抜けるのか。
◆学び系
・入学してから、学びたい内容が違ったな、と思ったら軌道修正は出来ますか(学部の変更は出来ますか?)
→だいたいの答えは「そうならないように、受験前の今、しっかり考えてください」となります。
なので負けじと、「受験前にめちゃくちゃ考えて選んだけど、やってみたら違うなと思ったらどうなりますか?」と立て続けに質問しましょう。
どんな答えでも構いませんが、即答か、悩むかを見てください。
学校側が悩んだら、基本的に救済措置はないと思っていいでしょう。
学生が我慢するか、退学か、2択になると思います。
即答で答えが返ってきたら、信じていい学校です。
その答えが満足いくかどうかは、ここでは問題にしないでください。
だって、質問している状況(勉強してみたら違った)というのは、間違いなく少数派、それも非常に少ない少数事例だからです。
そんな数少ない事例に対応する意志があるのか、ないのか。
問題の本質はそこです。
学校側が悩んだ場合には、基本的に対応する意志がないと思っていいでしょう。
即答で何かしら返答があれば、それがたとえ、「その時に詳しく話を聞いて対応します」みたいなボヤボヤの回答であったとしても、
学校組織として、少数事例に真摯に向き合う姿勢があります。
これがポイントです。
◆学校全体系
・貴学の良いところを今話してもらったい以外に3つ、改善したいけど改善できていないことを3つ教えて下さい。
これは学校側は面食らいますね。
民間企業では、こういうのそこそこある話なんですが、学校業界はてんでダメです。
まず、良いところは、質問する前に勝手に話してくれています。
そういう話は、割と学校全体の大きな話題であることが多く、学生にとっては親近感がないケースが多いです。
例)国家資格を2つ、取得できる体制を整えています!→1個で十分なんだよなー。。。
なので、その後に出てくる話のほうが、より学生にとって親近感があります。
具体的には、
ゼミ文化が強く卒業してもゼミ単位で集まることが多い、食堂が美味しい、テスト落ちても必ず救済措置がある、などなど
いずれにせよ、この質問で出てきた良いところこそ、受験生が入学して最初に感じる「この学校に入って良かった」と思うことです。
次に、改善したいけど改善できていないことについて。
これは本当は、「貴学のダメなところはどこですか?」って聞きたいんです。
でもそんなストレートに聞いても「どこだろうなー。正直わからないなー」という嘘しか感じられない回答が返ってきます。
なので、「改善したいけど改善できていない」と聞きます。
そうすると、話している学校教職員個人の気持ちが出てきます。
これも、回答があるかないかで判断してください。
いい大人が、自分が所属している組織に対して「改善したいけど改善できない」ことがないわけありません。
もし、本当になかったら、その学校は宗教的に学生に偏った考えを刷り込んでいる可能性が高いです。
事実、話をしている教職員はそれを刷り込まれて、「改善すべきこと」さえ考えられないわけです。
そのくらいに自分が属している組織は最高だということになります。
やばw
回答があれば、まずそれだけでそこそこ信じるに値する学校です。
あとは回答内容を聞いて、その改善提案が納得できものかどうかを受験生側で判断してください。
とっても長くなりました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
それではまた次回!
学費って何に対する対価?
こんにちは。ダーツーです。
今回は学費について書きたいと思います。
保育園に始まり、幼稚園、小学校、中学校、高校、専門学校、大学と、全ての教育機関で何らかの学費がかかります。
ひとくくりに学費と言っても、内訳は細かく細分化されています。
今回は一番大きな割合を占める「授業料」について書いていきます。
まず、お金が動く時はどんな例が身近なのかから考えてみます。
一般的に、「お金が動く時」は①売買、②対価のいずれかに分類されることが大半です。
①売買
これはシンプルですね。
何か欲しいモノがあったら、お金と交換する(買う)。
人間が産まれて最初にお金を理解するのはこの経験からです。
②対価
これもシンプルです。
働いたら、労働の対価としてお金をもらう。
小中学生の家庭のお手伝いに始まり、高校生でアルバイトを始めるので馴染みがあります。
では、学費(授業料)をこれに当てはめるとどのようになるのでしょうか。
これは学校ではなく、塾を例に考えるとわかりやすいです。
塾に支払う授業料は「授業を受ける対価」として支払うものです。
具体的なモノをもらうわけではないので、売買には分類できません。
塾の例では、みなさん、すーっと理解できるのですが、
なぜか学校になると腹落ちしません。
でも、冷静に考えてみると
「学校の授業料」も「授業を受ける対価」が最も基本的な考え方になります。
それが理解できなくなるのは、義務教育の流れがあると思っています。
小学校・中学校は義務教育なので授業料はありません。
給食費や一部の教材費、修学旅行の積み立てなど、学費に分類されるお金は義務教育でもありますが、理解・納得して払っているはずです。
(修学旅行が高額すぎる!とかいう話は別にしてw)
それが高校・専門学校・大学になると国公立であっても授業料が発生するようになります。
特に専門学校・大学の授業料は年間100万円近くになるほど高額です。
小中はタダだったのが、年齢を重ねたら年間100万とられるのだから、ちょっと待てよ、と思うのもわかります。
今回、私が学費について書こうと思ったのは、2020年のコロナ禍における休校措置がきっかけでした。
大学ではオンライン授業となり、学生達は大学キャンパスに通学することがなくなりました。
当然、友人関係やサークルなど、いわゆる「学生生活」の大きなウェイトを占める部分がごっそりなくなったのです。
その結果、各地で学生及び保護者から学費返還運動が起こりました。
マンモス大学では数千から数万もの署名が集まっています。
しかし、ほとんどの大学が学費返還をしませんでした。
※通信環境整備などの名目で1万円から10万円くらいの幅で、申請すればほぼ100%もらえる奨学金を給付した大学はたくさんありました。
これを実質的な学費返還と解釈することは可能です。
この時の学費返還運動の主張は
「キャンパスに通学できなければ、通常の学生生活を送る事が出来ない。通常の学生生活が送れないのであれば、学費は減免(減額)されるべきだ」
という内容です。
話を戻してみましょう。
学費は何のために支払うお金なのでしょうか?
「授業を受ける対価」であって、「友人を作る機会提供の対価」ではありません。
友人を作る機会は、あくまで学生達の自発的行動による副産物であり、大学側が明確に意図して提供したものではありません。
従って、コロナ禍における学費返還運動の主張は、的を射ていません。
この学費返還運動に対していくつかの大学が回答していますが、2020年5月5日に公表された早稲田大学の回答を紹介します。
「大学における学費の性格について、ご説明いたします。大学の学費は、学部生は学士号を4年間、大学院生は修士号を2年間、博士号は3~6年間で取得するための教育を提供し、学士号・修士号・博士号を授与するに足る教育を修了することに対して総額で設定されています。従いまして、感染症より学生を守るため、ある特定な形の授業形態を取ったとしても、学費が上下するものではありません。大学の学費は、4年間もしくは2年間・3~6年間の教育に対して、必要とされる総額を年数で等分して納めていただいているものなのです。」
早稲田大学の学費に関する考え方について Waseda University’s Policy on Tuition – 早稲田大学
一部を抜粋しましたが、全文を読むと学生に寄り添いながら、大学の本質を的確に表現しています。
この早稲田大学の回答からもわかる通り、
「学校における授業料」は「卒業資格」の「売買」と解釈することが可能になります。
そうすると、「高卒資格」よりも「大卒資格」の方が価値が高いので、高額になることも納得できるのではないでしょうか。
なので、学校における学費については、「学校が変」なのではなく、
「数年間という長期にわたって継続する売買」が一般的に「学校以外に存在しない」ことが変だと感じる理由です。
それではまた次回!
学校運営における絶対的正義とは?
こんにちは。ダーツーです。
初めての記事では、私が大学職員に転職して最初に衝撃を受けたお話です。
私は新卒で旅行代理店の営業職に就職しました。
旅行の営業なので、新入社員研修から、配属先の先輩・上司から耳にタコが出来るまで言われ続けたのは
「去年と同じことは絶対にするな」
です。
まあ旅行だから当然ですよね。
去年行った旅行と同じ旅行に行く人って、ほとんどいないと思います。
毎年沖縄に行く人はいますが、毎年同じホテルで、毎年同じビーチで泳いで、毎年同じお店で食事して、毎年同じお店で買い物する人ってほとんどいないと思います。
同じ沖縄であっても、ホテルを変えたり、食事場所を変えたり、中身は変わるのが普通です。
なので、新社会人としては「常に新しい情報を探し」「常に時代のトレンドを追いかけて、それを先駆けて提案する」ことに努めていました。
5年間そんな世界で生きてきて、大学職員に転職したら、そこは全くの別世界でした。
学校では、「去年こうだったから、今年も同じようにやる」ことを前提に全ての話が進みます。
とりあえず衝撃です。
え?去年と同じことするの?
旅行会社で叩き込まれた価値観と違うんだと痛感しました。
とりあえず転職したての若造なので、驚いた表情はしながら黙って話を聞いていると、
「去年こうやって、大きなトラブルもなかった。今年は学年が変わって対象者が変わるから同じことをやる」
という考え方なんですね。
旅行会社の時、同じ内容の旅行を複数のお客様に提案していました。
なので同じと言えば同じです。
しかし、この話の本質はそこではありません。
「去年と同じことは絶対にするな」という価値観で育つと、思考は自然と未来へ向きます。
まあ当然ですよね。
常に、新しいことを探す癖がつくんです。
「去年こうだったから、今年も同じようにやる」という価値観で育つと、思考は自然と過去へ向きます。
こちらも当然ですよね。
常に、去年はどうだったかを調べる癖がつきます。
これが5年、10年、20年、30年と続くとどうなるか。
「昔から何も変わらない学校」が出来上がります。
難しい言葉で言えば、「前例踏襲主義」というものです。
「前例踏襲主義」こそが学校における絶対的正義なんです。
2020年に新型コロナウイルスで学校に休校要請が出されました。
史上初のことです。
自分たちの学校に限らず、日本中の学校で例がありません。
そんな時、前例踏襲主義の学校では何が起きたか。
「前例(去年どうだったか)がないので、何も出来ない」
という事態に陥ったのです。
厳しく言えば思考停止状態ですね。
仕事は常に「去年どうやったかを調べること」から始めていた人たちですから。
(もちろん全ての学校がそうとは言いません。ただ、こういう状況になった学校が多かった印象です。)
これに対し、保護者を中心に
「オンライン授業への移行」「選択登校制」
などが声高に叫ばれましたが、前例がないので、実施に至らない学校が大半なのでした。
学校「前例がないので、模索しているが、すぐには実現できない」
保護者「史上初の緊急事態なんだから前例がないのは当然だ。臨機応変に対応すべきだ!」
学校「適切な対応は何かを検討するには時間がかかり・・・(要は前例がないから出来ないの意)」
保護者「臨機応変に・・・!」
という成立していないやり取りがSNSを中心に散見されましたね。
その学校側の背景(思考プロセス)をまずは整理してみました。
この前例踏襲主義は、学校が変な理由を語る上で、とても重要な価値観なので最初に書きました!
本当にこの価値観は学校で働く人にとって、絶対的正義なんです。
ではまた次回!
学校って変だよね。でもどうして変なの?
初めまして。ダーツーです。
「学校って変だよね」って昔からよく言われています。
厄介なクレームをつけるのは教員か公務員なんて言われたり。
(社会を知らないからだ!)
ブラック校則なんかは定期的にニュースになります。
(禁止している理由を先生が誰も説明できない!)
PTA活動なんかも批判的な話ばかり聞くし。
(共働き家庭への負担が大きすぎる!)
みなさん一度は経験あるし、思い当たることが何かあると思います。
でもなぜ「学校って変」なんでしょうか?
私は新卒で旅行代理店に営業職で就職し、20代後半で大学職員に転職しました。
民間と学校の違いには驚きの連続でしたが、色々と学んでいくと「そういう理由で学校って変なんだな!」とわかることもたくさんありました。
このブログでは、私の実体験を通じて、「学校がなぜ変なのか」について、私の解釈を書いていきます。
全体を通じて「学校が変」=「学校は一般社会とズレがある」という観点です。
現役の学生や、子育て世代の方々に、「学校が変な理由」を知ってもらい、ふーんって思ってもらえたら幸いです。
何か学校とやり取りする時に、学校側はどう考え、どういうプロセスで意思決定しているのか参考にしてもらえると、やり方も変わってくるのかなと思います。
更新は不定期ですが、週2回くらいの更新を目指しています!
多分平日しか更新しないです。
テンション高い時はまとめて更新する時もあると思います。
よろしくお願いします!